お子様の愛情の器は、おちょこサイズ?ビールジョッキサイズ?

この記事では、子どもが愛情で満たされる度合いに個人差があることを考察しながら、「手のかかる子/かからない子」の正体について、記載します。子育て中のママ&パパや、親子関係に悩んでいる方のモヤモヤが解消されるきっかけになれたら嬉しいです。

こんな経験はありませんか?

  • 親にかまって欲しい度合いについて、兄弟間の差を感じる
  • 義母から「この子、手がかかるわね~/かからないわね~」と言われる
  • ママ友と会っても、自分/相手のママが子に手を焼いていて結局、別々で遊ぶことが多い

この出来事が何に起因して生じているのか、掘り下げて考察していきます。

手のかかる子、手のかからない子、色んな個性の子がいる

定義

まず、ここでいう「手がかかる」とは、睡眠、食事、排泄等の生理的な面ではなく、一緒に遊んで欲しい、自分を見ていて欲しい等の心理的、愛情的な欲求を意味しています。

端的に言うと、愛情を注いで欲しい度合いです。

その為、生理的要求が強い0歳児というよりは、1歳以降をイメージしています。

我が子や周囲の親子を眺めてみると、親がかまっている度合いに関わらず、もっとかまってと言わんばかりの子/一人で勝手に遊ぶ子の個人差が大きいと感じています。

私の友人の例

この件について、私の友人2人の例を挙げます。

例1:3歳まで自宅保育、幼稚園育ちのかまってちゃん

この例は、友人Aの子どもの話です。

友人Aは、性格上、子の世話は完璧にこなし、基本的に全力で子と一緒に遊んでいます。

ただ、例えば私とその友人Aが少しでもおしゃべりしようものならすぐ様、友人Aの子は

「お話しないで、僕だけを見て!僕だけと遊んで!」と言うのです。

ストレートな言葉に私もハッとします。

その子の横に我が子2人もいるのですが、我が子には目もくれず、その子の目には自分の親しか映っていないようです。

友人Aとは長い付き合いなので、出産以降、年に数回会うのですが、この点に関しては成長による変容はなく、5歳になった今も同様です。 

例2:1歳から保育園、寂しく感じた記憶はない

この例は、友人B自身のお話です。

友人B曰く

「私の母は、フルタイム勤務だったから、私自身は延長保育等を利用し、長時間保育園にいた記憶があるが、それに対してマイナスの感情はない。居残りするのは楽しかった。
だから、自分の子を長時間保育園に預けることで子が寂しい思いをするとはそれほど感じない」

上記2つの例における感じ方の差は、私の中で大きな疑問として、長らく自分の記憶に居座っていました。

幼稚園通いの子の方が保育園通いの子より親と一緒に過ごす時間は圧倒的に長いですが、それとは全く関係ないところで、何か違いがあるのでは?とずっと思ってました。

この大きな疑問が、先日聞いた話により、スっと納得がいったので、次にその点について説明します。

愛情の器の大きさや形は、個人差が大きい

これは、人から聞いた話ですが、

一人の子が愛情で満たされたと感じる大きさ(サイズ、量)とその形(内容、質、タイプ)には、非常に個人差があるようです。

もちろん一律だと思っていた訳ではないですが、全体の20%前後の差だろうと無意識の中で思ってました。

しかし、個人差はそんなものではないようです。

大きさ(サイズ、量)

タイトルに記載した通り、器の種類でイメージするとわかりやすいかもしれませんね。

おちょこ、グラス、マグカップ、スープカップ、ビールジョッキ、一升瓶など。

例えば、愛情の器がおちょこサイズの子とビールジョッキサイズの子を比較すると、全体の20%の差どころではありません。

何十倍もの差があります。

そして、このサイズは、人生においてずっと同じ大きさを維持している訳ではなく、時期によって変容を遂げそうです。

例えば、始めは、グラスサイズだったのが、器が空っぽの状態が長く続いた結果、一升瓶サイズまで大きくなり、なかなか満たされたと感じることができない。

更に、一升瓶サイズが空っぽの状態が長く続くと、一升瓶の底が抜けて、後からどんなに補充されてもどんどん流れていってしまう。

その逆も然りで、ジョッキサイズが満たされた状態が続き、グラスサイズへとだんだん小さくなっていく。

そんなケースもあるのかなと思ってます。

形(内容、質、タイプ)

これは、「良質」「悪質」とか、善し悪しの話ではありません。

「タイプ」と言う言葉の方がイメージしやすいでしょう。

思いつくままに以下に例を記載しました。

  • 母大好きタイプ

   →母の愛情だけで満たされたい、母を独り占めしたい

  • みんな大好きタイプ

   →人とのコミュニケーション自体が好きなので、母だけでなく、母父、祖父部、いとこ、友達など、色んな人から色んな愛を感じたい

  • 愛情時間固定タイプ

   →愛情の器サイズが小さい訳ではないが、それよりも邪魔されずに一人で集中して遊びたい等の欲の方が強く、愛情を注いでもらうのは、寝かしつけや寝起きの時だけでいい

  • そばにいて欲しいタイプ

   →とりあえず同じ空間に居たい。離れたくない。体が触れていれば尚よし。一緒に遊んでも遊ばなくてもどちらでもいい。

  • 常に見ていて欲しいタイプ

   →人と遊ぶよりも自分で自由に遊びたいので、一緒に遊ぶことは求めない。ただ、ふと顔を上げた時に、母がこちらを見ていてくれると、とっても嬉しい。かといって、一緒に遊んで欲しいわけではない(2回目。笑)。

  • ぎゅーっとされたいタイプ

   →「抱きしめられる」=「愛されている」と深く思い込んでいて、例えば10~20分おきにぎゅーっと抱きしめて、また遊びに行き、また10~20分経過したらまたぎゅーっと抱きしめて、その繰り返しにより、満たされていく。

手のかかる子/かからない子の正体

簡単にいうと、

上述した、愛情の器サイズがおちょこサイズやグラスサイズの子は、ちょっとした愛情表現で満たされたと感じるので、いわゆる「手のかからない子」、

ビールジョッキ以上のサイズの子は、無限に愛されていると感じたいので、「手がかかる子」、
と周囲から思われるのでしょう。

つまり、手がかかる/かからないの正体は、本人の愛情の受け取り方に対する周囲の印象です。

例として上げた友人Aの子の場合は、一升瓶サイズで母大好きタイプなのかな。

友人Bの場合、おちょこサイズなのかな。

愛情の器の大きさは何だっていいさ

愛情の器の「形」は、当然、個性です。

忘れてはならないのは、その「大きさ」も個性だということ。

つまり、おちょこサイズも、ビールジョッキサイズも、それは本人の個性です。

なので、大きさを変える必要はもちろんないし、周りがとやかく言う必要はないのです。

その意味で、他人から我が子に対して「手のかかる/かからない子」という言葉を言われても、全く気にしなくていいし、耳すら傾けなくていい、と私は感じます。

我が子の場合

上記考えを元に、我が子を振り返ってみると、我が子の場合、

大きさは、第一子ちゃんは大きめマグカップ、第二子君は普通サイズのマグカップかなと思いました。

形は、上述したタイプの例の最後2つが、実は我が子の例です。笑

我が子はもう2,3歳ですが、1歳代の時に、このことに気がつきたかったなー!

姉弟満遍なく愛情を注いできましたが、その結果、第二子君は常に満足してましたが、第一子ちゃんはなんか物足りないという状態が続いていました。

満遍なくではなく、第一子ちゃんに多めに目をかけてあげる必要があったのだと最近気づきました。

【結論】親が子の愛情の器の大きさや形を認め、それに合わせて親が愛情を注ぐことが重要

あたなのお子様の愛情の器の大きさはどのくらいでしょうか?
(=どの程度かまえば、満たされた表情をするでしょうか?)

形はどんなものでしょうか?

(=どんな声がけや遊びをすると、満たされた表情をするでしょうか?)

重要なのは、その子の愛情の器の大きさと形に合った注ぎ方を行うことですが、無限に愛情を注ぐ時間的余裕があれば誰も苦労しない訳です。

ここでは家事とのバランスも加味して考えます。

ワーママ、パート、専業主婦等、どの形態をとっていても、みな育児以外で家事などやることが沢山あります。

子の愛情の器に応じて、家事を行うタイミングを考えることで、一日がスムーズに回るのかなと考えます。

例えば、おちょこサイズの子にビールジョッキの愛情を注いで、他の家事に手が回っていなければ、

自分のストレスとなり、不必要な悪循環に足を踏み入れるきっかけになります。

また、一升瓶サイズの子の場合、子が起きている間に家事を全て済ませることは現実的ではないので、隙を狙って家事をすることは諦めます。

子が起きている間は子に全力集中、家事はしないと割り切って自分も本気で子と遊び、満たされていれば睡眠も安定しますので、夜は早め(※)に寝かせて子が寝ている間に家事をまとめて片付ける方がいいのかな。

  ※この場合、もし私だったら8歳以下の子であれば19時に寝させます。

我が子のように常に見ていて欲しいタイプの場合、頭を使う家事を子が居るときに行うと失敗に繋がるので、子が居るときは単純作業の家事を片付けておきます。子が寝た後に、頭を使う家事を片付けます。

その結果、親子相互に、以下の2つの効果が見込めます。

  • 【効果1】親は、育児がちょっと気楽になる
  • 【効果2】子は、愛情で満たされている為、癇癪やわがままが減る。
    ある程度の年齢になってくると、自立し、他人への愛情にも注ぐ余裕が出てくる

ただ、、、注意点が一点。

【注意点】親は、器の大きさを変えようとしない

「大きさを変える」とは、例えば、ビールジョッキサイズの器をおちょこサイズに変更すること。

それは、おちょこに入る量の愛情を渡し、「これで我慢しなさい」、「これで満足しなさい」と子に強要することになります。

そんなこと、子の年齢に関わらず無理というか、やってはいけないことだと思います。
特に親の立場では。

たとえ子が成人していたとしてもです。

愛されていると感じること、感じ方は本人の自由なので、それを阻害してはいけません。

たとえ親だとしても。

【余談】子の器のサイズや形を、親が極端に勘違いしていると・・・

思春期はとっくに終わり、子が成人しているのに、親子関係がギクシャクしてたり、崩壊していることってありますよね。

その中には、子の器の大きさや形を、親が極端に勘違いしているケースが時々あるのかなと思います。

例えば、子の愛情の器が大きく、ジョッキサイズだったのに、親はそれに気がつかず、子は生涯、愛情不足を感じる。

確かに、子のやりたいことができるように進学等の環境を整えてたりすると一見、親は役目を果たしているかのように見えます。

しかし、子は、「自分のことを見てほしい」と満たされていない状態が続く。

また、兄弟の器がジョッキより小さい場合

「他の兄弟と同じ愛情を注いでいるんだからこの量の愛情で我慢しなさい」と言われているような状態が続く。

親が気がつかない限り、その不足分は解消されません。

子は「自分ばかり愛されていない」「兄弟は可愛がられているのに」・・・こういった感情を消化する術が分からず、かといって今更、親に対して「愛情をください」とは言えず、成人した後も親に会うとその満たされていない感情を思い出し、なんとなく子が親を遠ざける。。。

現代、ワーママは珍しくありませんが、専業主婦多数派の時代と現代の間に子育てを行った、過渡期のワーママの場合、今以上に、このようなケースの子が一定数居るように感じます。

今回は長々と色んな書きましたが、我が身を振り返った時に
日々の行事、仕事、遊びに追われている毎日の中で、子の要求に見合った愛情を注げているか、定期的に省みたいと思う今日この頃です。

Have a good day☀

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