私の履歴書、生い立ち

このブログをどんな人物が書いているのか知っていただくために、幼少期からの生い立ちについて、趣味や興味関心、思考などの観点でまとめました。

プロフィール

【居住地】長野を拠点に東北~関西を転々と

親および自分の進学や転勤により、東北~関西に住んでいました。

住んだことのある都道府県は、福島(会津若松)、神奈川(横浜)、東京京都です。

幼少期は、シンガポールに住んでいました。

幼少期の頃から引っ越しには抵抗がなく、自分の知らない土地へ行く時のわくわく感が好きでした。

また、20代前半は東京に憧れており、会社からの東京転勤の打診には喜んで乗り、3年程、東京で働いたことがあります。

東京で実際に働いてみると、確かにチャンスは無限大、最新技術や流行に容易に触れることができ、刺激的な日々でしたが、地方にいても自分がやることは同じだと感じました。

そこで、20代後半に、東京→長野に戻りました。

【趣味】旅行が好き

引っ越し同様の感覚で、自分の知らない土地へ行く旅行が好きです。

主に20代に、以下の国へ旅しました。

フィリピン(3回)、ベトナム、カンボジア、ネパール、トルコ(2回)、アメリカ、サイパン、グアム、ブラジル、台湾

旅行形態は様々で、一般的なツアー、飛行機のチケットのみ取ってノープラン、2週間の長期旅行、現地でボランティア等です。

また、国内旅行では、遠いエリアだと以下あたりに行きました。

北海道(ニセコ、ルスツ、知床)、岐阜(白川郷)、鳥取(砂丘)、香川(うどん巡り)、沖縄、屋久島

性格上、日常ではスケジュールを詰め込みがちで余白を確保できていなのですが、旅行では、忙しない日常から物理的に離れて、現実を俯瞰して考える時間が確保できるのがいいなと思ってます。

【頭脳】理系女子

高校生の時に一番得意だった教科は数学でした。

当時、とある全国模擬テストにて、それなりにしか勉強していない数学で偏差値92を取り、片や、めちゃくちゃ時間をかけて勉強した国語が平均点以下という出来事があり、自分は生粋の理系の脳だと自覚しました。(数学は得意ですが、苦手な科目が多々あり、総合的な学力は高い方ではありませんでした)

しかし、大学進学を考えた時に、理系の学部に興味が持てず、文系の学部に進学しました。

今思えば、不得意な分野への進学を親はよく許したなと思います。

ただ、私の母は私の学業に興味がなかったので、テストの点数を聞かれることはなく、私も時々総合点を伝える程度で、内訳の点数分配(文系教科の減点分を数学で稼いでいる)は知らなかったと思います。

その後、就活においても文系の職種を中心に志望しましたが、文系の職種は尽く不合格となり、現在のSEという職種、会社に入社しました。

当時は悔しい思いをしましたが、SEという日々勉強が欠かせない職種のおかげで、自分の知的好奇心がくすぐられ、楽しく仕事ができています。

結果論ですが、現在、毎日在宅ワークができているのもSEという職種のおかげです。

今思えば、文系分野に寄り道しましたが、最終的には得意な分野を職業にできてラッキーだったと思います。

【学業】国際経済、公認会計士、IT、中小企業診断士

大学時代、文系学部で何を学んだかというと、国際関係学、特に国際経済を学びました。

その傍ら、公認会計士を目指すべくWスクールで専門学校に通ってました。

大学よりも専門学校にいた時間の方がはるかに長かったです。

大学での勉強は人並みにこなし、大学での学業の2倍以上の時間を公認会計士の勉強に費やしました。

時間的には、文系学部生の3倍は勉強していました。

ほんと、勉強尽くしの大学生活でしたね~。

公認会計士を目指した動機は、自分の得意分野で手に職が欲しかった為です。

逆に言うと、国際経済を4年間学習した先に、何が得られるのか具体的に目標が描けなかったので焦っていました。

結局、公認会計士の試験には在学中に合格できず、就活し、上述の通り、SEの仕事に就きました。

就職後に働きながら会計士試験勉強を継続する選択肢もありましたが、SEとしての仕事が結構忙しかったので、時間確保の面であまりに無謀だと判断し、断念しました。

また、公認会計士の資格勉強で得た知識を仕事上、生かせる場が多々あり、知識のインプットよりもアウトプットしたい気持ちが強かったので、資格勉強の継続を辞めました。

しかし次第に、公認会計士資格勉強で学んだ膨大な知識を生かし、資格取得として何かしら形にしたいと感じるようになり、少し関連性のある中小企業診断士の勉強を始めました。

こちらは、一次試験を3回ほど合格しましたが、二次試験で毎度不合格。

一回に一次試験合格につき二次試験は2回受験できるので、二次試験は計6回受験しました。

6回も不合格が続くとさすがに飽きてきて、執着で受験しているような状態になっていたので、受験を辞めました。

このように、20代の大半を勉強三昧の生活で過ごしてきました。

中小企業診断士資格勉強を辞めた後は、得た知識を元に実践したいと考え、何でもいいので自分で業を興したく、当時最も興味のあった農業を始めました。

農業を選択した大きな理由は、初期投資がほぼ不要なことと、とても自由度の高い分野であることですが、自分の背景も後押ししました。

そのあたりについては、以下に掲載しておりますので、良かったらご参照ください。

現在は、中小企業診断士の受験勉強で学んだコンサルの知識をフル動員して、我が農園のブランド化に取り組んでいます。

ブランド化とはつまり、差別化、認知度向上、顧客ロイヤルティの向上です。

価格競争に飲み込まれないように、他の野菜とは一味違う野菜や商品を作り、それを認知してもらい、お客様と直接やり取りしていく中で信頼関係を構築していき、お客様の満足度を向上させる、そんな一連の流れを日々試行錯誤しています。

【性格】知的好奇心旺盛

上述した通り、20代は勉強や仕事三昧の生活でしたが、振り返ってみると、学びに貪欲だったのは、中学3年生の頃、高校受験に向けて勉強していた頃から始まりました。

前章でも触れましたが、私の母は学業に無関心で、小中高校生の時はほぼ塾に通っていませんでした。

中学3年生の時に、必死で母に懇願し、英語の習い事のみさせてもらったことをよく覚えています。

その為、中学生の自分にとって学校は貴重な学ぶ場であり、言葉の通り、学ぶために私は学校に通っていました。

家で一人で勉強している時に分からない事があっても質問する相手がいないので、先生の話を聞き漏らすまいと真剣に授業を受けていました。

中学2年生まではそれなりに真剣に授業を受けていましたが、どちらかというと部活中心で、中学3年生で部活を引退した後、勉強中心の生活に切り替えました。

今まで以上に真剣に授業を聞き始めると、それまで気にならなかったことに気になり始めました。

クラスにふざけている子が一定数いて、授業の進みが停滞するのです。

どんな学校やクラスでもよくあることでしょうが、塾に通っていない当時の私にとっては死活問題です。

更に、中学3年生後半になると、推薦等で進路が決まり始めて、更に授業を妨害する子が出てきます。

自分は真剣に授業を受けたいのに、クラスの雰囲気がそうでない、そんなことを当時結構真剣に悩んでいました。

その後、進学した先の高校では、皆真剣に授業を受けていたので、中学時代の反動で思う存分勉学に勤しみました。

中学生の時に十分に満たしきれていなかった知的好奇心が、高校で爆発した感じです。

前置きが長くなりましたが、「母の学業への無関心」と「クラスメイトの授業への妨害」により、自分の知的欲求が満たされず、阻害され、それが刺激となって、知的欲求を満たせるときに満たそうという思考が定着した気がします。

つまり、「知りたい」と思う自分の欲求が邪魔されることを私はひどく嫌悪し、その嫌悪のエネルギーが次の「知りたい」に繋がったと考えています

そんな思春期を経て、現在は、自分の興味の向く分野において、沸々わいてくる疑問を端から調べ、その調査に基づき実践していくことに楽しみを感じます。

大人になると、「知りたい」を邪魔されることは滅多にないので、学びにおいて自由になれたと思っています。

【思考】小さな目標→計画→実践

中学高校ともに、1~2年生の時には部活に没頭し、3年生になって部活の最後の大会が終わった後は、勉学に没頭しました。

中学1年生~高校3年生までの6年間は常に部活か勉強において目標をもち、それに向かって日単位で計画を立てて実践してきました。

目標を達成した時の達成感が気持ちよかったので、自分が達成できるぎりぎりの目標を立てており、達成率は五分五分だった気がします。

そんな6年間を過ごし、目標設定と計画、実践が習慣化していましたが、大学1年生の前半は具体的な目標が定められておらず、手持無沙汰のような感覚でした。

何でもいいから大学生の時に形に残る結果を残したいと考え、手っ取り早く資格。

自分の得意分野で一番難しいものを選んだ結果が、公認会計士の資格でした。

その後、就職した後もその習慣は継続し、今でも何かしらの目標を立てて日々過ごすことが癖になっています。

子育て中の今は、純粋に自分の為に費やせる時間が少ないので、大層な目標は立てていませんが、小さな目標は常にあります。

例えば今年の目標(やりたいこと)は

  • 会社員:昇格
  • 子育て:母子旅行で海外旅行へ行き、英語の習い事を行うきっかけを作る
        (その練習として母子国内旅行の際に飛行機に乗る)
  • 畑  :野菜セットに、受け取った方が思わずにっこりするようなお便りを入れる
  • ブログ:毎日1時間、週に1記事を書く

このように毎年小さな目標を年明け1月に立てています。

この習慣を20年余り過ごしてきたので、自己効力感は高い方だと認識しています。

「自己効力感」とは、聞きなれない言葉でしょうが、最近何かと話題(?)の「自己肯定感」と似ていて、

以下のような定義です。

自己肯定感:無条件に自分の存在価値を認める感情
自己効力感:目標達成の際、自分ならできると信じることができる認知

この自己効力感は、常に目標を立て実践する生活を10年も続けていれば、目標達成の実績が無数に生まれるので、勝手に向上していくと個人的には考えています。

私の場合、そんな生活を長年続けてきたので気がついたら自己効力感が向上しており、何をするにも根拠のない自信があり、それ故に無謀なチャレンジもします。

いざ失敗しても、失敗したというよりも、学んだことに目が行くので、失敗とすら認識していないことがよくあります。

そういえば、上記学業の章で記載した通り、資格受験は結局いずれも合格してません。

しかし、我が子が中学高校等の受験生になったら私も資格試験を受験したいと心の隅で考えていることと、結果的に資格勉強を通じて膨大な知識を得られたので、失敗としてカウントしていないどころか、自分としては満足しています。

最後に

自分の内面を洗いざらい記載してみましたが、いかがでしょうか。

こういった私の性質を両親や兄弟は認識しているでしょうが、夫や身近な友人にはここまで話したことがないので、書きながら結構恥ずかしいです笑

こんな人物ですが、もしご興味をもっていただけましたら、他の記事もぜひご覧ください。

読んでくれてありがとう。

今日も素敵な一日になりますように☀

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